Lisper がシンボルを多用するのって eq で比較できるからとじゃなくて文字列と比べるとタイプ数が少なくて済むし見た目もすっきりしてるからという程度でしかない気がする。
あと、どうせマクロを書くときにシンボルの操作は避けて通れないし。
軽くインターネットで調べると Ruby にはシンボルがあるっていうけどあれはハッシュのキーに使うとか、他にはなんか謎の使われ方がされる感じであって Lisp のプログラムの識別子もシンボルだよね〜ってノリとは違うし、REPL で何かちょっとしたことをするのに選ばれるものではないような気がしてる。
Common Lisp のシンボルの話をちゃんとするのは難しいのでそれはやめるとしても、そうでなくてもシンボルを説明するのは大変だと思う。
何かの式の記号を表現するのに使えるやつみたいな感じの説明でいいんだろうか。eq で比較できるってことに識別子として利用可能という意味で重要だけどその話は難しいし。
Lisp の cons セルを破壊して値を返すタイプのプログラム、Lisp 以外に存在しない気がしている。副作用を使う他のプログラミング言語なら配列とかだろうし、関数型プログラミング言語ならそもそも破壊しないだろうから Lisp 以外にこういう激ムズなリスト操作は存在しなそう。
縄文土器がめっちゃ凝ってるのはそれが仕事として成立してたからじゃなくて暇で楽しむためにやってたんだと思うんだよな〜〜〜。弥生時代になってシンプルになったのはたぶん社会が変わってそれが仕事になったからなんだろう。つらい。
もしかすると文明の最初にいたのかもしれん。狩とかうまくないけど絵がうまかったり、字が書ける人はそれだけで重宝されただろうし、それは実質的に現代でいうところの仕事に相当するかもしれない。
本の執筆や芸術によって生計を立てられなくなったとき、本当に本や芸術が失なわれるのかについては気になっている。
そもそも仕事として本や絵で生計を立てられるようになったのっていつからなんだろうか。少なくとも文明の最初からではないと思う。それらが仕事として成立しえたのは貴族の専属としてとか貴族自身とかそんな感じだったと思うのがいつからか変化したんだと思うんだよな(イメージで言ってる)。
計算機の普及によって失なわれてきた仕事は社会からそれによって要らないと判断されたものなんだろう。それに対して本や芸術に関する仕事は計算機の存在によって代用される何かではなくて社会から必要とされているのが違いなんだろう。
それまで情報とその媒体がセットで売られていた本や絵が計算機によって情報として扱えるようになった。情報は計算機によって容易に複製できるが、それは本や芸術を専門にしている人にとっては致命的であった。彼等の職が失なわれると社会が困ると判断され、彼らを保護するために本来複製可能な情報であってもを複製できないということにした(そもそも「情報を複製」という表現に何か混乱がある気がする)。
他に計算機の普及によって失なわれてきた仕事はたくさんある。でも本や芸術に関する職はそれで失なわれてはならないということになったし、著作物の情報は複製できないということになった。そのような保護をしない場合の社会がどうなるのかについての実験はまだされていないけど、現状は危険だと考えられているという感じかな。
GNU Guix ユーザーの Schemer で、自由ソフトウェアと行動分析学が好きです。
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